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第六章

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 作業場にいたリュクスは、入ってきたイルティアに目を向ける。その時、彼女の雰囲気がいつもと違うことに気がついた。

 強さを秘めたような、凛とした佇まい。

 その姿はまるで、一輪の白百合にも思えた。

 迎えるようにそっと立ち上がると、彼女が確かな歩みで傍に来る。

 彼は静かに瞳を細めた。

「答えを、聞かせてもらえるか?」
「ええ」

 そう言って、彼女が顔を上げる。その瞳が真っ直ぐ彼を映した。そして、ゆっくりと手を胸元まで持ち上げる。

 大切そうに包む手の平を広げると、その中には小さな四角い箱があった。彼は、それを見て首を傾げる。

「それは?」
「依頼を受けて欲しいの」
「……」

 丁寧に蓋を開ける。中にあったのは、黒いベルベットの上に乗る、すみ切りの長方形に型どられた宝石。濃い緑色の輝きを湛えていた。

 リュクスが、再びイルティアに視線を移す。

「……エメラルドじゃ、ないな」

 その言葉に、彼女は小さな笑みを作る。

「さすがね」

 短く答えて、続けた。

「そう……これはまだ、市場に出ていないメビアンの鉱床から採れた石。名も無き宝石、というところかしら」
「…………」

 差し出された小箱を受け取り、リュクスはじっと眺める。微かな光でも、籠った色が溢れるように主張する。一目で、品質の良さが伝わってきた。

 だが同時に、彼女がそれを出してきた理由も察してしまう。彼は改めて、彼女を見つめた。

「この石で、俺に何を作らせる気かは知らないが……これは、君の意思だと受け取っていいのか?」

 依頼を出してきた以上、彼女はもう私情で自分と接するつもりがないと、リュクスは判断した。

 イルティアも、その問いに頷く。

「ええ。私はもう決めたの」
「俺がファイラント公に力を貸しても?」
「構わないわ。こちらも対抗する術を持つだけよ」

 返ってきた答えに、リュクスは少しだけ低い声を出した。

「……そうまでして、彼を選ぶと?」
「……」

 イルティアは、黙ったまま彼を見つめた。しばらくして、ふっと顔を動かす。何かを思い出すように、室内へ視線を流した。

「……ずっと、色が無かったの」
「色……?」

 その疑問に答えることなく、彼女は部屋の奥へ足を進めて、壁に手を伸ばす。その先には、銀製のチェーンがあった。オペラを基にしたエナメル細工の台座が、微細な色を放つ。

 その横に手を添えて、再び口を開く。

「窓から見る空も、庭の花々も、私を彩るドレスすらも。見るもの全てがくすんでいたの。いつまでも変わらない日常は、どれもが色褪せていた気がするわ」
「…………」
「でもね、リュー。ある時から、世界が華やかに色づいたのよ。毎日同じだと思っていた邸が、馬車で通りがかる街並みが、そうして目に移るもの全てが美しかったの。美しいと、そう思えるようになったの。それはきっと……貴方が……」

 思い返すように静かに瞳を閉じて、髪飾りに触れる。誇らしげに羽根を広げる小鳥が、今も髪に留まっているのだろう。

 いつも付けていると、聞かれた時のことを思い出す。もし今、同じ問いをされたなら、答えは変わるのかもしれない。

 そんな考えを胸に抱きながら、イルティアは再び瞳を開けて振り返る。リュクスと目が合うと、柔らかく微笑んだ。

「思えば私は、あの時から……貴方に想いを寄せていたのね」
「……!」

 衝動的だった。リュクスは全てを忘れて手を伸ばす。掴んだ手首を引き寄せて、彼女を腕に収めた。

「ティア……!」

 彼女の答えを聞いて、仕舞い込もうとした心があった。

 今度こそ、断ち切るべきだと思っていた。

 だがその言葉を聞いて、触れた瞬間、感情が溢れてしまう。離したくないと、その一心で彼女を抱き締めた。

 抑えきれない心のままに、言葉を絞り出す。

「それなら何故……俺の元に来てくれないんだ」
「今、貴方の元にいっても、同じことを繰り返すだけだからよ。私自身が変わらなければ、この先は変わらない」
「だがそれでも……」

 一拍置いて、彼は続けた。

「俺は君を、諦めることは出来ない」
「……」

 それを聞きながら、イルティアは、その胸に顔を埋める。ギュッと服を握り締め、大きく息を吸い込む。それでも震えてしまう声で答えた。

「ごめん……なさい……」
「謝って欲しいわけじゃない。謝るくらいなら」
「リュー」

 言葉を遮り、イルティアが顔を上げる。その瞳には決意が滲んでいた。

 再び大きく息を吸う彼女が、今度はハッキリとした声を出す。

「聞いて」
「何を」

 わずかに困惑を見せる彼に、イルティアは一層の笑みを向ける。

「私、貴方に感謝してるの。貴方と出逢えて、一緒に過ごした日々は忘れない。だからね、リュー」

 言葉を切った彼女の瞳が、強く煌めいた。

「私の選び取った道、貴方に見届けて欲しいの」

 その輝きから目を逸らすように、顔を背ける。彼は、小さく答えた。

「酷なことを。……それは、対立する立場からになるんだぞ」
「そうね。自分勝手なことは承知の上よ。それでも私は、貴方に見ていて欲しい」
「……」

 ゆっくりと視線を戻した彼が、瞳を細める。彼女の目は、変わらず光を宿していた。

 その光を求めるように、リュクスがその頬へ手を添える。イルティアも、その手に自身の手を重ねた。

「……俺は」

 想いが募っていく。届かないと分かっていながら、それでも焦がれる心が欲してしまう。

 何度、羨んだことだろう……彼女の隣にいる彼を。

 何度、想い描いたことだろう……彼女と共にいることを。

 何度、願ったことだろう……二人で笑い合う未来を──。

「っ!」

 胸の苦しみのままに、リュクスはイルティアを掻き抱く。

 手に入らないのなら、せめて……。

「……」

 せめて、彼女の望みを叶えたい。

 けれど、その想いを隠して彼は、一戦も辞さない覚悟で言葉を並べた。

「……悪いが俺は、敵対する以上、相手が誰であれ容赦はしない」
「……」

 リュクスの腕の中でイルティアも、彼の服を掴んだ手に力を込める。

「ええ、分かっているわ」

  もしも、愛し愛されることが許される関係なら……一瞬、掠めた想いを振り払う。イルティアは、静かに瞳を閉じた。

 こんなに拙い考えでしか、彼から離れることが出来ない。それでも、その意思は揺るがない。

 イルティアは、再び瞳を開けて、リュクスからそっと体を離した。

 これから先、互いの主張を述べるべきは別の場所になる。

 彼女はその強い意志のまま、彼の元から去っていった。
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