37 / 50
第六章
6
しおりを挟む
作業場にいたリュクスは、入ってきたイルティアに目を向ける。その時、彼女の雰囲気がいつもと違うことに気がついた。
強さを秘めたような、凛とした佇まい。
その姿はまるで、一輪の白百合にも思えた。
迎えるようにそっと立ち上がると、彼女が確かな歩みで傍に来る。
彼は静かに瞳を細めた。
「答えを、聞かせてもらえるか?」
「ええ」
そう言って、彼女が顔を上げる。その瞳が真っ直ぐ彼を映した。そして、ゆっくりと手を胸元まで持ち上げる。
大切そうに包む手の平を広げると、その中には小さな四角い箱があった。彼は、それを見て首を傾げる。
「それは?」
「依頼を受けて欲しいの」
「……」
丁寧に蓋を開ける。中にあったのは、黒いベルベットの上に乗る、角切りの長方形に型どられた宝石。濃い緑色の輝きを湛えていた。
リュクスが、再びイルティアに視線を移す。
「……エメラルドじゃ、ないな」
その言葉に、彼女は小さな笑みを作る。
「さすがね」
短く答えて、続けた。
「そう……これはまだ、市場に出ていないメビアンの鉱床から採れた石。名も無き宝石、というところかしら」
「…………」
差し出された小箱を受け取り、リュクスはじっと眺める。微かな光でも、籠った色が溢れるように主張する。一目で、品質の良さが伝わってきた。
だが同時に、彼女がそれを出してきた理由も察してしまう。彼は改めて、彼女を見つめた。
「この石で、俺に何を作らせる気かは知らないが……これは、君の意思だと受け取っていいのか?」
依頼を出してきた以上、彼女はもう私情で自分と接するつもりがないと、リュクスは判断した。
イルティアも、その問いに頷く。
「ええ。私はもう決めたの」
「俺がファイラント公に力を貸しても?」
「構わないわ。こちらも対抗する術を持つだけよ」
返ってきた答えに、リュクスは少しだけ低い声を出した。
「……そうまでして、彼を選ぶと?」
「……」
イルティアは、黙ったまま彼を見つめた。しばらくして、ふっと顔を動かす。何かを思い出すように、室内へ視線を流した。
「……ずっと、色が無かったの」
「色……?」
その疑問に答えることなく、彼女は部屋の奥へ足を進めて、壁に手を伸ばす。その先には、銀製のチェーンがあった。オペラを基にしたエナメル細工の台座が、微細な色を放つ。
その横に手を添えて、再び口を開く。
「窓から見る空も、庭の花々も、私を彩るドレスすらも。見るもの全てがくすんでいたの。いつまでも変わらない日常は、どれもが色褪せていた気がするわ」
「…………」
「でもね、リュー。ある時から、世界が華やかに色づいたのよ。毎日同じだと思っていた邸が、馬車で通りがかる街並みが、そうして目に移るもの全てが美しかったの。美しいと、そう思えるようになったの。それはきっと……貴方が……」
思い返すように静かに瞳を閉じて、髪飾りに触れる。誇らしげに羽根を広げる小鳥が、今も髪に留まっているのだろう。
いつも付けていると、聞かれた時のことを思い出す。もし今、同じ問いをされたなら、答えは変わるのかもしれない。
そんな考えを胸に抱きながら、イルティアは再び瞳を開けて振り返る。リュクスと目が合うと、柔らかく微笑んだ。
「思えば私は、あの時から……貴方に想いを寄せていたのね」
「……!」
衝動的だった。リュクスは全てを忘れて手を伸ばす。掴んだ手首を引き寄せて、彼女を腕に収めた。
「ティア……!」
彼女の答えを聞いて、仕舞い込もうとした心があった。
今度こそ、断ち切るべきだと思っていた。
だがその言葉を聞いて、触れた瞬間、感情が溢れてしまう。離したくないと、その一心で彼女を抱き締めた。
抑えきれない心のままに、言葉を絞り出す。
「それなら何故……俺の元に来てくれないんだ」
「今、貴方の元にいっても、同じことを繰り返すだけだからよ。私自身が変わらなければ、この先は変わらない」
「だがそれでも……」
一拍置いて、彼は続けた。
「俺は君を、諦めることは出来ない」
「……」
それを聞きながら、イルティアは、その胸に顔を埋める。ギュッと服を握り締め、大きく息を吸い込む。それでも震えてしまう声で答えた。
「ごめん……なさい……」
「謝って欲しいわけじゃない。謝るくらいなら」
「リュー」
言葉を遮り、イルティアが顔を上げる。その瞳には決意が滲んでいた。
再び大きく息を吸う彼女が、今度はハッキリとした声を出す。
「聞いて」
「何を」
わずかに困惑を見せる彼に、イルティアは一層の笑みを向ける。
「私、貴方に感謝してるの。貴方と出逢えて、一緒に過ごした日々は忘れない。だからね、リュー」
言葉を切った彼女の瞳が、強く煌めいた。
「私の選び取った道、貴方に見届けて欲しいの」
その輝きから目を逸らすように、顔を背ける。彼は、小さく答えた。
「酷なことを。……それは、対立する立場からになるんだぞ」
「そうね。自分勝手なことは承知の上よ。それでも私は、貴方に見ていて欲しい」
「……」
ゆっくりと視線を戻した彼が、瞳を細める。彼女の目は、変わらず光を宿していた。
その光を求めるように、リュクスがその頬へ手を添える。イルティアも、その手に自身の手を重ねた。
「……俺は」
想いが募っていく。届かないと分かっていながら、それでも焦がれる心が欲してしまう。
何度、羨んだことだろう……彼女の隣にいる彼を。
何度、想い描いたことだろう……彼女と共にいることを。
何度、願ったことだろう……二人で笑い合う未来を──。
「っ!」
胸の苦しみのままに、リュクスはイルティアを掻き抱く。
手に入らないのなら、せめて……。
「……」
せめて、彼女の望みを叶えたい。
けれど、その想いを隠して彼は、一戦も辞さない覚悟で言葉を並べた。
「……悪いが俺は、敵対する以上、相手が誰であれ容赦はしない」
「……」
リュクスの腕の中でイルティアも、彼の服を掴んだ手に力を込める。
「ええ、分かっているわ」
もしも、愛し愛されることが許される関係なら……一瞬、掠めた想いを振り払う。イルティアは、静かに瞳を閉じた。
こんなに拙い考えでしか、彼から離れることが出来ない。それでも、その意思は揺るがない。
イルティアは、再び瞳を開けて、リュクスからそっと体を離した。
これから先、互いの主張を述べるべきは別の場所になる。
彼女はその強い意志のまま、彼の元から去っていった。
強さを秘めたような、凛とした佇まい。
その姿はまるで、一輪の白百合にも思えた。
迎えるようにそっと立ち上がると、彼女が確かな歩みで傍に来る。
彼は静かに瞳を細めた。
「答えを、聞かせてもらえるか?」
「ええ」
そう言って、彼女が顔を上げる。その瞳が真っ直ぐ彼を映した。そして、ゆっくりと手を胸元まで持ち上げる。
大切そうに包む手の平を広げると、その中には小さな四角い箱があった。彼は、それを見て首を傾げる。
「それは?」
「依頼を受けて欲しいの」
「……」
丁寧に蓋を開ける。中にあったのは、黒いベルベットの上に乗る、角切りの長方形に型どられた宝石。濃い緑色の輝きを湛えていた。
リュクスが、再びイルティアに視線を移す。
「……エメラルドじゃ、ないな」
その言葉に、彼女は小さな笑みを作る。
「さすがね」
短く答えて、続けた。
「そう……これはまだ、市場に出ていないメビアンの鉱床から採れた石。名も無き宝石、というところかしら」
「…………」
差し出された小箱を受け取り、リュクスはじっと眺める。微かな光でも、籠った色が溢れるように主張する。一目で、品質の良さが伝わってきた。
だが同時に、彼女がそれを出してきた理由も察してしまう。彼は改めて、彼女を見つめた。
「この石で、俺に何を作らせる気かは知らないが……これは、君の意思だと受け取っていいのか?」
依頼を出してきた以上、彼女はもう私情で自分と接するつもりがないと、リュクスは判断した。
イルティアも、その問いに頷く。
「ええ。私はもう決めたの」
「俺がファイラント公に力を貸しても?」
「構わないわ。こちらも対抗する術を持つだけよ」
返ってきた答えに、リュクスは少しだけ低い声を出した。
「……そうまでして、彼を選ぶと?」
「……」
イルティアは、黙ったまま彼を見つめた。しばらくして、ふっと顔を動かす。何かを思い出すように、室内へ視線を流した。
「……ずっと、色が無かったの」
「色……?」
その疑問に答えることなく、彼女は部屋の奥へ足を進めて、壁に手を伸ばす。その先には、銀製のチェーンがあった。オペラを基にしたエナメル細工の台座が、微細な色を放つ。
その横に手を添えて、再び口を開く。
「窓から見る空も、庭の花々も、私を彩るドレスすらも。見るもの全てがくすんでいたの。いつまでも変わらない日常は、どれもが色褪せていた気がするわ」
「…………」
「でもね、リュー。ある時から、世界が華やかに色づいたのよ。毎日同じだと思っていた邸が、馬車で通りがかる街並みが、そうして目に移るもの全てが美しかったの。美しいと、そう思えるようになったの。それはきっと……貴方が……」
思い返すように静かに瞳を閉じて、髪飾りに触れる。誇らしげに羽根を広げる小鳥が、今も髪に留まっているのだろう。
いつも付けていると、聞かれた時のことを思い出す。もし今、同じ問いをされたなら、答えは変わるのかもしれない。
そんな考えを胸に抱きながら、イルティアは再び瞳を開けて振り返る。リュクスと目が合うと、柔らかく微笑んだ。
「思えば私は、あの時から……貴方に想いを寄せていたのね」
「……!」
衝動的だった。リュクスは全てを忘れて手を伸ばす。掴んだ手首を引き寄せて、彼女を腕に収めた。
「ティア……!」
彼女の答えを聞いて、仕舞い込もうとした心があった。
今度こそ、断ち切るべきだと思っていた。
だがその言葉を聞いて、触れた瞬間、感情が溢れてしまう。離したくないと、その一心で彼女を抱き締めた。
抑えきれない心のままに、言葉を絞り出す。
「それなら何故……俺の元に来てくれないんだ」
「今、貴方の元にいっても、同じことを繰り返すだけだからよ。私自身が変わらなければ、この先は変わらない」
「だがそれでも……」
一拍置いて、彼は続けた。
「俺は君を、諦めることは出来ない」
「……」
それを聞きながら、イルティアは、その胸に顔を埋める。ギュッと服を握り締め、大きく息を吸い込む。それでも震えてしまう声で答えた。
「ごめん……なさい……」
「謝って欲しいわけじゃない。謝るくらいなら」
「リュー」
言葉を遮り、イルティアが顔を上げる。その瞳には決意が滲んでいた。
再び大きく息を吸う彼女が、今度はハッキリとした声を出す。
「聞いて」
「何を」
わずかに困惑を見せる彼に、イルティアは一層の笑みを向ける。
「私、貴方に感謝してるの。貴方と出逢えて、一緒に過ごした日々は忘れない。だからね、リュー」
言葉を切った彼女の瞳が、強く煌めいた。
「私の選び取った道、貴方に見届けて欲しいの」
その輝きから目を逸らすように、顔を背ける。彼は、小さく答えた。
「酷なことを。……それは、対立する立場からになるんだぞ」
「そうね。自分勝手なことは承知の上よ。それでも私は、貴方に見ていて欲しい」
「……」
ゆっくりと視線を戻した彼が、瞳を細める。彼女の目は、変わらず光を宿していた。
その光を求めるように、リュクスがその頬へ手を添える。イルティアも、その手に自身の手を重ねた。
「……俺は」
想いが募っていく。届かないと分かっていながら、それでも焦がれる心が欲してしまう。
何度、羨んだことだろう……彼女の隣にいる彼を。
何度、想い描いたことだろう……彼女と共にいることを。
何度、願ったことだろう……二人で笑い合う未来を──。
「っ!」
胸の苦しみのままに、リュクスはイルティアを掻き抱く。
手に入らないのなら、せめて……。
「……」
せめて、彼女の望みを叶えたい。
けれど、その想いを隠して彼は、一戦も辞さない覚悟で言葉を並べた。
「……悪いが俺は、敵対する以上、相手が誰であれ容赦はしない」
「……」
リュクスの腕の中でイルティアも、彼の服を掴んだ手に力を込める。
「ええ、分かっているわ」
もしも、愛し愛されることが許される関係なら……一瞬、掠めた想いを振り払う。イルティアは、静かに瞳を閉じた。
こんなに拙い考えでしか、彼から離れることが出来ない。それでも、その意思は揺るがない。
イルティアは、再び瞳を開けて、リュクスからそっと体を離した。
これから先、互いの主張を述べるべきは別の場所になる。
彼女はその強い意志のまま、彼の元から去っていった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
797
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる