シンデレラ、ではありません。

椎名さえら

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11 恋の蕾

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動悸は家に2人で向かう途中から、既におかしなことになっていた。

雄大を家にあげてからは極力余計なことは何も考えないようにして、なるべく平常心を心がける。彼にリモコンを渡し、テレビをつけてもらって音が居間にあふれるとやっと一息ついた。この狭い空間だと、雄大の視界に自分がどうやっても入ることはあえて忘れることにした。

出来た料理を並べ――本当にお洒落さもなにもない普通の家庭料理――食べ始めると雄大は静かに、噛みしめるように美味い、と褒めてくれた。そして、人が作ったものを食べることがほとんどなかったから、と続けた。

「…え?」

雄大は我に返ったように瞬きをしてから優実を見ると、やや諦めたような笑みを浮かべた。

「俺んち、昔から親が…どっちもほとんど家に寄りつかなくて。弟もいたし、俺がずっと料理してたんだよな」

「…そうだったの…」

言い方や表情から、親にあまり良い思いを抱いていないということが伝わってきた。それでもなるべく会話が重くならないように彼が言葉を注意深く選んだことに気づいた。彼が抱えているのはどんな過去だろうか。優美は華やかな外見や人並み以上の経歴から、雄大は何不自由ない家庭に育ったのだと勝手に思い込んでいた自分を恥じた。

「だから今日は嬉しい。田中が誘ってくれて」

「……」

「ありがとうな」

お礼を言われると、もう我慢できなかった。

「こんなのでよかったら、いつでも…いつでも作るよ」

雄大のいつも冷静な、温度が少し低い瞳をまっすぐに見て、優美は微笑みを浮かべた。

「雑誌に載っているような、横文字の、お洒落なのはできないけどね」

初対面の時に冷たく冴えていると感じた雄大の瞳が、揺らめいた。あれだけ他者を拒絶していると思っていた彼の瞳はかつてないほどに雄弁で、何かを伝えようとしていて、優実は視線を逸らすことが出来ない。

「――そんなのはいらない。田中が作ってくれればなんでもいい。それに、田中が一緒に食べてくれたら、それで」

彼の吐息のような掠れた声に、息がとまるのを感じた。

しばらく時を忘れて見つめ合った。最初に動いたのは雄大だった。持っていた食器を置くと、瞳は逸らさないまま優実の右手をそっと握った。途端に握られた右手が熱を帯びる。

「俺は最初に会った時から…田中のことが好きなんだ」

「井上くん…」

その言葉が信じられず、小声で名前を呟く。

「田中には迷惑かもしれないけど…」

「……」

「田中が綺麗だからだけじゃなくて…皆に優しいところや真面目なところも」

(わたしが…綺麗…?)


「ずっと好きだったんだ」


雄大の端正な顔がみるみるうちにぼやけて歪んでいく。自分が泣いているということに気づいたのは彼が慌てて手を離した後だ。離された端から彼の温もりが恋しくなる。

「悪い、そんなに嫌だったか?」

優美は目を硬く瞑ると、微かに首を横に振った。

「…嫌じゃ、ない?」

頷くと、彼の気配が静かに寄ってきてそっと抱きしめられた。

「こうしても…大丈夫?」

優美は目を閉じたまま、こつんと彼の胸に自分の額を軽く押し付けた。雄大の身体がぶるっと震えるのが分かった。そのぬくもりを感じると自然と涙が止まった。

大好きな人が、自分のことを綺麗だと思ってくれている、そしてそれを言葉にしてくれたことで、優美は今までに感じたことのない幸福感に満たされ、眩暈がした。数年間咲くことすらないと諦めていた恋の蕾が今、開かんとしている。しばらくお互い黙って体温を分け合っていたが、優しく抱擁を解かれる。

「せっかく作ってくれたし、あったかいうちに飯食べるわ」


はは、と赤みが差している顔で呟いた雄大は明らかに照れていて、優実の胸は幸せに高鳴った。
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