『青になる夜』

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手が,透明になった朝があった。

メガバンクの法人営業職,27歳。
数字も評価も,悪くなかった。
「女性活躍推進」のモデルケースとして,期待されていた。
それなのに,得意先への訪問準備をしながら,名刺を持つ自分の手が,そこにない気がした。

辞めると言ったとき,上司は「もったいない」と言った。
先輩女性社員は「あなたが辞めたら,後輩が困る」と言った。
誰も,わたしのことを,聞かなかった。

向かった先は,川沿いの藍染工房だった。

言葉より手が雄弁な68歳の師匠。
7年で指先まで青く染まった,距離の縮まらない先輩職人。
核心を無自覚に突く,19歳の農家の青年。
今もメガバンクにいる,東京の友人。

藍は,急かさない。
甕は,答えを出さない。
発酵は,見ていない夜にも,続いている。

浸して,酸化して,洗い流して,また浸す。
何度繰り返しても,色が定まるまでの時間は,省けない。

停滞は,敗北ではない。
前進も,義務ではない。
変化を望みながら変化できない身体が,それでも藍の匂いの中で,今夜も息をしている。

痛みを知る人が,明日を急がずにいられる物語。
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