九州の地下に眠る海
熊本県阿蘇郡、地図にも載らない小さな集落「灰塚」。
そこには古い言葉が残っている。
「夜ん谷には行きなはんな」――。
東京で映像編集者として暮らす椎葉蓮は、祖父の訃報を受けて
十数年ぶりに故郷へ戻る。無口だった祖父が、死の間際に遺し
たのはたった一言。
「戸ば、開けるな」
帰郷の前夜から、蓮は同じ夢を見続けていた。光の届かぬ深海
の底で、見上げる先にある巨大な「何か」。寝返りを打つたび
に海ごと震わせる、山ほどもある存在――。
阿蘇カルデラは、九万年前の巨大噴火で生まれた世界最大級の
窪地である。だが祖父の蔵に伝わる写本『火國秘聞』は、それ
より遥かに古い時代を語る。曰く、この地はかつて海だった。
そして今も――山の下に、海はある。
肥後の地、神々が生まれ降り立つ五つの場所。阿蘇、人吉、八
代、天草、荒尾。それぞれの土地に「戸」があり、それを守る
「戸守り」の家がある。椎葉、岩戸、矢部、深江、三池。彼ら
は代々、地下に眠るものを目覚めさせぬよう、血と祈りによっ
て契約を繋いできた。
だが今、契約は緩み始めている。
阿蘇の噴煙のなかに、東京の路面に滲む潮の匂いに、観光プロ
モーション映像の一コマに、それは確かに、姿を見せ始めている。
H・P・ラヴクラフトのコズミックホラーを、肥後の風土に深く
根ざして描く連作怪奇短篇集。
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「戸ば、開けるな」
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は代々、地下に眠るものを目覚めさせぬよう、血と祈りによっ
て契約を繋いできた。
だが今、契約は緩み始めている。
阿蘇の噴煙のなかに、東京の路面に滲む潮の匂いに、観光プロ
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