「豊臣秀吉」の検索結果
全体で96件見つかりました。
一人の男が何の因果か戦国時代へ紛れ込んでしまった。
その男の姿は何故か幼児となって。
そして間違われ、巻き込まれ、いつの間にか小さな国衆の領主となっていた。
その者の名は塩冶彦五郎高清。(えんや ひこごろう たかきよ)
豊臣秀吉に「山賊衆」と呼ばれたその人になってしまったのだ。
そんな彼だが、今はまだ幼く但馬山名氏の元にある八千石にも満たない小さな領主である。
ただ、歴史の中に異分子として入り込んでしまったのは事実。
「弱ければ食われる。食われたくなれば強くなれ」をモットーに頭を働かせていく。
山賊衆と呼ばれるのに相応しいほど泥臭く、地べたを這いつくばっても生き延びる。
頭を下げ、裏切り、のし上がる。生き延びるために。
ここから、歴史はあらぬ方向へと動いていくのであった。
登録日 2020.05.01
武田家家臣として信玄・勝頼の二代に仕え、1582年の武田家滅亡後は徳川家家臣となり、1624年に81歳の生涯を終えた初鹿野伝右衛門昌久(はじかのでんえもんまさひさ)。
武田家滅亡時の人生選択の葛藤を乗り越えた、伝右衛門の生涯を描きました。
豊臣秀吉による徳川家康の江戸配置換え後、現在の埼玉県さいたま市にあった「土呂陣屋」に居を構えた伝右衛門。
今も伝承として残る「見沼」(徳川吉宗による干拓以前は広大な沼)の龍神伝説と絡めました。
結果が重視されるのは、戦国時代も現代も変わらないかもしれませんが、「結果よりも生きた過程も大事なんじゃないか?」という人生観を、伝右衛門は大坂夏の陣で死を目前にした真田信繫(幸村)に説きます。
香車伝の処女作です。
登録日 2026.03.24
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、この時代を作った3人、人は彼らをこう呼んだ――三英傑と。
そんな三英傑が死を目前に異世界に転移してしまい、また時の人となるため成り上がるドタバタ異世界ファンタジー
文字数 16,713
最終更新日 2019.09.21
登録日 2019.06.11
新庄藩の黎明期である仙北時代の記録は、伝説に近く不確かなものが散逸して残る。
藩主の系図ですら、多種多様・膨大であるにもかかわらず、信頼に値するものは無いと言い切って良い。そして、本来であれば、御家取り潰しになってもおかしくはないような事件が、いくつかあるが、なぜか表沙汰にならずに済んでいる。どのようにして、滴石から逃れた小地方武家が、八万石を超える『願譜代』にまで上り詰めることができたか。
まずは、雫石(滴石)落ちから、いわゆる『角館騒動』の実相について迫ることから始め、慶長年間になぜ多数の老臣らが出奔するに至ったかの真相に迫るべく、資料調査・考察し、物語(フィクション)として編んだ。
文字数 109,640
最終更新日 2026.06.06
登録日 2026.05.13
奥州、米沢。
伊達家の若き跡取り・藤次郎政宗は、隻眼であることを陰で笑われ、若すぎることを侮られ、周囲の大名たちから「扱いやすい小僧」と見られていた。
だが、政宗は知っていた。
刀を振るう前に、戦は始まっていることを。
敵の兵糧の行き先。
城内で不満を抱く家臣。
商人が握る借財。
僧が運ぶ密書。
女たちの井戸端に落ちる本音。
酒場でこぼれる将の愚痴。
それらを集める者がいなければ、若き当主は奥州で食い殺される。
そこで政宗は、信夫の地から一人の男を呼び寄せる。
名は柳原戸兵衛。
盗人、詐欺師、山伏、掏摸、薬売り、博徒、元足軽、抜け忍まがいの者たちを束ねる、黒い脚絆の男。
戸兵衛は政宗に言う。
「殿。綺麗な者だけを集めた軍は、綺麗に負けます。汚れた者を飼う覚悟はおありで?」
政宗は笑う。
「汚れた手でよい。俺の目の届かぬ場所を見ろ」
こうして、犯罪スペシャリスト集団「黒脛巾組」が生まれる。
彼らは敵城に商人として入り、女中として潜り、山伏として祈祷し、博徒として賭場を荒らし、贋文書で敵を惑わせ、偽の噂で軍勢を動かす。
やがて政宗は、父・輝宗の死、人取橋の危機、摺上原の大勝、小田原参陣の綱渡り、豊臣秀吉との駆け引きへと進んでいく。
表の歴史に名を残すのは伊達政宗。
だが、その足元には、黒い脛巾を巻いた悪党たちの足跡がある。
これは、天下を取れなかった男の物語ではない。
天下を取る寸前まで、奥州の闇を使い切った男と、彼に人生を賭けた悪党たちの痛快時代劇である。
文字数 181,978
最終更新日 2026.06.25
登録日 2026.06.20
実際、豊臣秀吉は俺に関係ねぇ、織田信長とお話しようなんて思わねぇ、徳川家康はそもそも嫌いな属性だし…歴史は嫌いだ、ただの暗記だ、あんなの…
そんな少年はある日、偶然にも、戦国時代の創造神をまかされることになる。
地形情報、ステータスバランス、生命情報の詳細…全て一から戦国の世を作り出す役…
歴史嫌いの少年は何を思って時代を造り、最後にどうなるのか!
本能寺の変の真実は!?坂本龍馬暗殺の犯人は!?その根本を造る神様になった少年は果たして、戦国時代をどのようにして作成したのか!?
文字数 2,533
最終更新日 2016.10.09
登録日 2016.10.09
【第9回ホラー・ミステリー小説大賞奨励賞】
慶長19年(1614年)、方広寺鍾銘事件が起こり、豊臣家は刻一刻と、大坂の陣――亡(ほろ)びの道を歩んでいた。
豊臣完子(とよとみさだこ)は豊臣秀勝(秀吉の姉・ともの子。豊臣秀次の弟)と江(ごう)(秀頼の母・茶々の妹)の子であり、茶々の養女である。
完子(さだこ)は、夫の・九条忠栄(くじょうただひで)と共に、豊臣家を守ろうとしていたが、その折り、秀頼が乱行に興じていることを知る。
秀頼の乱行を止めるため、完子と忠栄はその乱行に興じる理由を探る。探っていくうちに、十年前の慶長4年(1604年)に、完子の九条家の嫁入りの前夜に起こった、完子の乳母の怪死事件に遠因があることに気づく。
乳母は、完子の嫁入りの宴に出席したあと、大坂城内の一室で怪死しており、その死体を発見したのが秀頼であった。
秀頼は乳母のことを好いており、十年後の慶長14年(1614年)、その怪死の謎を解く。解いた結果、秀頼は豊臣家の「秘密」――秀頼自身の出生の「秘密」に気づく。その「秘密」は秀頼を狂わせ、秀頼を乱行へと誘(いざな)っていく。
方広寺鍾銘事件の原因となった鍾銘も、狂った秀頼によって「いじられた」ものであり、こうして豊臣家は滅亡への道を突き進み、忠栄や完子の努力も虚しく、大坂の陣へと突入してしまう……。
【表紙画像】不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
文字数 108,625
最終更新日 2026.03.31
登録日 2026.02.17
幾多いる刀工のなかで特に名高い三人の名工と鍛造した作品について語ってみようとおもう。
・粟田口藤四 郎吉光
・岡崎五郎入道正宗
・越中松倉郷義弘
この3人が、天下三作され、日本刀剣史上、燦然ときらめく三つの巨星である。
文字数 2,024
最終更新日 2023.02.28
登録日 2023.02.28
江戸幕府第二代将軍、徳川秀忠の名前はおかしい。主家や主君を見限るなら、貰った名は捨てるのだ。
それなのに、父と共に豊臣家を滅ぼした秀忠は、豊臣秀吉から貰った「秀」を捨てていないのだ。これは、いかなる事なのだろうか?
秀忠と秀吉には、歴史の裏に隠れた秘密の結びつきがあったのではないだろうか?
登録日 2015.05.08
旭川川底からこんこんと湧き出る源泉の中で育ったお福の方。
生まれながらの美しさに、温泉による美肌で、世にもまれな美貌だと絶賛された。
この地を支配した三浦貞勝・宇喜多直家・豊臣秀吉を虜にする知恵と美貌を備え、戦国の世を生き抜いた女傑だ。
三人三様に愛されるが、その愛は、自ら積極的に求め、飛び込み、成就させて掴んだ愛だ。
華麗な愛の遍歴。
湯原温泉・勝山・岡山と郷土を愛し、学び、発展させた知恵。
岡山藩主、宇喜多秀家・毛利家三本の矢の一つを受け継ぐ吉川広家の妻、容姫を育てた賢母。
いくつもの顔を持つおふくの方の心に残る生きざまを綴りたい。
文字数 69,077
最終更新日 2022.05.24
登録日 2022.05.24