「将軍」の検索結果
全体で816件見つかりました。
時は享保。江戸は将軍吉宗の時代。
神田須田町に住む料理人の惣八は、その時々で方々の大名屋敷や料亭に出入りをしていた。
ホトトギスが鳴く時分、今年も例年通り尾張藩中屋敷で梅の仕込みをしていた惣八は、ふと、今年の梅の異常に気付く……。
文字数 24,550
最終更新日 2026.05.25
登録日 2026.05.22
永禄四(1561)年、謙信は武田信玄との勝負の決着を着けるため、一万三千の兵を率い、信州川中島へと向かっている。その行軍の中で謙信はそれまでの自分の人生を振り返る。天文五(1536)年、父の長尾為景が隠居し、兄の晴景が家督を継ぎ、虎千代(少年時代の謙信)は林泉寺に預けられる。住職の天室光育の下で精神修養や学問に励む虎千代であったが、子供の頃から一本気で正義感の強い性格であった。そして、仏教の教えを学び非常に信仰心の篤い性格となってゆく。天文十一(1542)年、虎千代が12歳の時に父が亡くなる。しかし、晴景は国主としての器量に乏しいという評判であった。元服し、長尾景虎と名乗った虎千代は、十五歳で初陣を飾り、勝利を重ね、景虎十九歳の時に晴景は隠居し、景虎が国主となる。だが、果たしてそれは景虎の本意であったか?天文二十一(1552)年、景虎23歳の時、関東管領上杉憲政が相模の北条氏に追われ、景虎を頼って三国峠を越え、越後に落ち延びて来る。景虎は持ち前の義俠心から、北条氏と戦い、憲政の権威を取り戻す決意をする。又、その年の暮れから翌年にかけて、信濃の諸豪族が甲斐の武田晴信に追われ、景虎を頼って越後に逃げ延びて来る。そこでやはり景虎は武田とも戦って信濃の諸豪族達が失った土地を取り戻す決心をする。天文二十二(1553)年第一次川中島の戦い。長尾と武田は川中島に出陣するが、お互いの実力を測りかね、全面的な衝突は無く、双方引き上げる。しかし景虎は武田の強さを知る。その年の9月、景虎は二千の兵を率いて上洛し、朝廷や将軍家に贈り物をするが、将軍には会えず帰国する。弘治元(1555)年第二次川中島の戦い。両軍は犀川を挟んで睨み合いとなり、対陣は数ヶ月に及ぶ。結局今川義元の調停により和睦し、双方引き上げる。弘治二(1556)年。景虎二十七歳。全てが嫌になった景虎は、家出して僧侶になろうとするが、皆に引き止められる。弘治三(1557)年、第三次川中島の戦い。景虎は晴信の所在が掴めず、徒労に終わる。四月、二度目の上洛をし、関白近衛前嗣と意気投合する。永禄四(1561)年。関東諸将と共に小田原城を包囲した後、鎌倉で関東管領に就任し、上杉政虎と名乗る。ここで、筆者が謙信について思う事をつらつらと述べる。第四次川中島の戦い。川中島南方の妻女山に布陣した政虎は、武田方の水煙が多いのに気づき、武田が動くことを確信。その裏をかいて、八幡原の武田軍へ奇襲をかける。激戦の中、政虎は信玄らしき者に一騎討ちをしかけるが討ち漏らす。その後月日は流れ、天正六(1578)、謙信は自分の後継者を決めないまま四十九歳で脳溢血で亡くなる。この物語の文章は、謙信の独白と筆者の解説のようなツッコミのような文の繰り返しで進む。タイトルに坊っちゃんとあるのは夏目漱石の坊っちゃんから取ったのだが、内容は似て非なるものとなった。
文字数 19,776
最終更新日 2026.05.06
登録日 2026.05.06
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
文字数 49,240
最終更新日 2026.02.08
登録日 2025.11.08
【あらすじ】
前漢末、皇帝の外戚・王莽は帝位を簒奪し、「新」という王朝の皇帝を称した。これに対して、中国の全土で叛乱、自立が相次ぎ、その中でも最も天下に近かった勢力・平林軍の更始帝は長安と洛陽を陥落し、ついに王莽を斃した。
しかし天下は未だ定まらず、更始帝は、不安定は河北に誰を差し向けるか悩んでいたが、少数により王莽の軍を撃破した実績を持つ、劉秀に白羽の矢を立てた。
劉秀――のちの後漢の光武帝である。
【登場人物】
劉秀:のちの後漢の初代皇帝・光武帝。
馮異:劉秀の部下。大樹将軍の異名を持つ。
王郎:河北の邯鄲(かんたん)にて、漢の皇族を称し、自立。
奴国の大夫:倭の諸国の内、奴国(なこく)からの使節。後漢より「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印を賜る。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
文字数 10,899
最終更新日 2024.06.06
登録日 2024.05.31
戦国末期から江戸にかけての剣豪、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)。彼の活躍を三つ、「三番勝負」ということでお送りします。
【一番 邂逅】
慶長5年10月1日、石田三成、斬首。
その首は三条河原に晒されていた……まるで「捨てられた」かのように。
やがて日が経ち、骨が見えるまでになったその首を弔わんと――あらわれた僧侶が二人。
その二人の僧侶――大徳寺住持・春屋宗園と弟子の宗彭――の前に、立ちふさがる剣士がいた。
柳生宗矩である。
【二番 鶚鷹(みさご)飛ぶ時 ~大坂夏の陣、岡山口の戦い~】
慶長20年5月。大坂の役(大坂の陣)の夏の陣が始まった。将軍家兵法指南役・柳生宗矩は、同じく警固役の「九州の鶚鷹(みさご)」 立花宗茂と共に、将軍・徳川秀忠につき従って岡山口に来ていた。徳川は大軍で、勝ちは見えていた――かのように思えたが、大坂方・大野治房の奮戦により、秀忠とその軍は強襲される。
そしてその隙を――十人の刺客が襲う。
宗矩は剣を抜いた。宗茂と共に。
【三番 ほろ酔い幻想記 ~柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の或る正月~】
柳生宗矩は、幕府に逆らった禅僧・沢庵宗彭(たくあんそうほう)を許してもらうよう、徳川家光に歎願状(たんがんじょう)を出していた。
正月、いっこうに返事を寄越さない家光にしびれを切らした宗矩は、単独での謁見に望んだ。
家光は改めて歎願状を読むから、それまで待てと言い、宗矩は平伏して待った。
ところがその耳に、つま先立ちして歩く跫(あしおと)が聞こえ……。
文字数 12,559
最終更新日 2025.06.03
登録日 2025.05.31
|下克上《げこくじょう》は、日本史に於ける下位の者が上位の者を政治的・軍事的に打倒して
身分秩序(上下関係)を侵し、権力を奪取する行為を指す言葉である。
有史以来、確実に下剋上と言える事例も多々存在する。例えば斎藤道三の美濃の国盗りは、典型的な下剋上の例である。しかしこの下克上は、旧・守護|土岐氏《ときし》の家臣たちの反感を招き、後に嫡男・義龍と敵対した際に、殆どの家臣が義龍の側につくという結果を招いた。
戦国時代の下剋上の最大の成功例は、織田信長によるものである。
信長は主君の下尾張守護代・織田信友を討滅し、続いて自ら擁立した尾張守護・斯波義銀を追放し、更には将軍・足利義昭も追放して、事実上その地位を奪っている。だが、信長自身も最後は下剋上で討たれ、そうした信長の姿勢は皮肉にも家臣の豊臣秀吉に継承されたのである。
ただし、下剋上が遍く日本列島全域に存在していた訳ではなく、東北地方は「下剋上のない社会」と言われるように地域偏差が存在したのも事実である。
実際に文禄・慶長の役のため肥前国名護屋城に駐留した陸奥国の戦国大名、南部信直は上方の武士から下剋上についてレクチャーを受けているのだ。
しかし、この風潮は徳川家康の下克上によって終止符を打たれた。
この小説は史実に基づく下克上を美濃国道三、尾張国信長、関白秀吉、そして関ヶ原の覇者家康までの長きにわたる戦国乱世の物語である。
現代もなお、斎藤道三を偲ぶ祭りがある。
『道三まつり』である。
現代に至ると、岐阜のまちづくりの基礎を成した道三の遺徳を偲び、昭和47年(1972年)から岐阜市にて毎年4月上旬に道三まつりが開催されている。
私は道三という人物像に触れ、歴史の重みを感じたのであった。
文字数 30,099
最終更新日 2026.05.04
登録日 2026.05.01
室町幕府三代将軍足利義満は観阿弥の勧進猿楽で鬼夜叉と出会う。美貌と天賦の才に惹かれた義満は、観阿弥の思惑通り鬼夜叉に新しい芸能を大成させることを約束する代わりに、観阿弥にある条件をのませた。
義満は南北朝合一、守護大名の衰退を画策し、花の御所に幕府を構え、朝廷にまでその権勢を伸ばす。
一方、鬼夜叉は二条良基の薫陶を受けて教養知識を身に付け、ライバルとなる増阿弥と競い、観阿弥の友犬王の導きを得て、能楽の大成に向け邁進する。
義満の策謀によって衰退した南朝再興を目指す葉室次郎は、有力守護大名大内義弘と手を組み鎌倉公方を巻き込んで、義満に敵対し命を狙う。
守護大名の力を削ぎ、金閣を造成し、朝廷にまで権勢を伸ばし日本の頂点に立とうとする義満。その義満の野望を阻もうとする葉室次郎の願いは届くのか。鬼夜叉は果たして能楽を大成出来るのか。
世阿弥の前半生を描く。
文字数 86,205
最終更新日 2024.05.27
登録日 2024.05.01
籤(くじ)引きで第五代将軍となった足利義教の恐怖政治が続く。日本初の土民蜂起と言われる「正長の土一揆」が起こるなど社会不安が広がる中、猿楽能の大成を目差す世阿弥にも大きな波が押し寄せる。
将軍義教の贔屓する世阿弥の甥元重に奥義を伝授し観世大夫とするよう強要されるが、これを断ったため御所への出入り・演能は禁じられ、長男元雅は楽職を罷免される。
元雅は葉室次郎を頼り大和越智へ。天河弁財天に能を奉納祈願し「越智観世」として活躍の場を広げようとする。一方、世阿弥自身は佐渡に配流されてしまうが、世阿弥を支えたのは猿楽能だった。
「万人恐怖」の政治を行う将軍義教に逆らう守護大名、大和越智一族、比叡山延暦寺、鎌倉公方の戦いの決着は? 世阿弥、元雅、元重の運命は? 都に現れた女猿楽とは? 混迷の渦に巻き込まれながら、果たして猿楽能の大成は成るのか?
世阿弥の後半生を描く。
文字数 89,685
最終更新日 2024.06.25
登録日 2024.06.01
【あらすじ】
南北朝時代、南朝の宰相、そして軍師ともいうべき、准后(じゅごう)・北畠親房、死す。
その兇報と共に、親房の臨終の言葉として、まことしやかに「その一言」が伝わってきた。
「年明けこそ鬼笑う」――と。
親房の最期の言葉は何を意味するのか――
楠木正成、新田義貞、高師直、足利直義といった英傑たちが死し、時代は次世代へと向かう最中、ひとり生き残った足利尊氏は、北畠親房の最期の機略に、どう対するのか。
【登場人物】
北畠親房:南朝の宰相にして軍師。故人。
足利尊氏:北朝の征夷大将軍、足利幕府初代将軍。
足利義詮:尊氏の三男、北朝・足利幕府二代将軍。長兄夭折、次兄が庶子のため、嫡子となる。
足利基氏:尊氏の四男、北朝・初代関東公方。通称・鎌倉公方だが、防衛のため入間川に陣を構える。
足利直冬:尊氏の次男。庶子のため、尊氏の弟・直義の養子となる。南朝に与し、京へ攻め入る。
楠木正儀:楠木正成の三男、南朝の軍事指導者。直冬に連動して、京へ攻め入る。
【表紙画像】
「きまぐれアフター」様より
文字数 10,769
最終更新日 2024.06.05
登録日 2024.05.31
【あらすじ】
紀元前251年、シチリア島は第一次ポエニ戦争、すなわちローマとカルタゴの戦場となっていた。
そのシチリア島のパノルムス(現在のパレルモ)において、共和政ローマ執政官(コンスル)メテッルスと、カルタゴの将軍ハスドルバルが対峙する。
ハスドルバルは、カルタゴ自慢の戦象部隊を率いており、メテッルスはこれにどう対抗するのか……。
【登場人物】
メテッルス:ローマの執政官(コンスル)
ファルト:その副官。
カトゥルス、アルビヌス:ファルトと同様に、メテッルスの幕僚。
アルキメデス:シチリア島の自由都市シラクサの学者。
ハスドルバル:カルタゴの将軍。戦象を操る。ハンニバルの兄弟のハズドルバルとは別人。
【表紙画像】
「きまぐれアフター」様より
文字数 10,623
最終更新日 2024.06.05
登録日 2024.05.31
歴史小説『払暁の風』は、室町時代初期、足利幕府の権力基盤が固まりつつある激動の時代を舞台に、一人の若き武士の成長と、過酷な運命に翻弄される愛を描いた壮大な物語です。
物語の主人公は、美濃の守護・土岐氏に仕える沼田又太郎。弱冠二十歳の彼は、瑞々しい感性と正義感を持ち合わせ、兵法の修行に励む志高い青年です。冒頭、京の鴨川のほとりで、恋仲である早希と過ごす穏やかな時間は、中世の静謐な美しさを象徴しています。しかし、その静寂は、幕府内部の権力闘争と土岐一族の内紛「康行の乱」によって無残にも破られます。
時の将軍・足利義満は、強大な勢力を誇る守護大名の弱体化を画策していました。その標的となった土岐氏では、義満の意を受けた土岐満貞が、宗家の康行を追い落とそうと策動します。又太郎はこの政争の渦中に否応なく巻き込まれ、初陣として「黒田の合戦」へ向かうことになります。
本作の最大の魅力は、凄惨な戦場のリアリズムと、そこに生きる人々の心の機微が見事に融合している点です。初めて人を斬る恐怖、信頼していた仲間との決別、そして戦乱の中で引き裂かれる早希との約束。作者は、華やかな室町文化の裏側にある、武士としての忠義と個人の幸福の狭間で揺れ動く若者の葛藤を、緻密な時代考証に基づいた格調高い筆致で描き出します。
特に印象的なのは、又太郎のライバルとなる長井掃部介との関係です。同じ女性を愛し、敵味方に分かれて刃を交えることになる二人の運命は、武家社会の非情さを象徴しています。最終盤、戦いの果てに又太郎が下す「ある決断」は、読者の胸を強く打ちます。それは単なる敗北や逃避ではなく、動乱の時代を生き抜いた一人の男が辿り着いた、深い祈りと悟りの境地でもあります。
タイトルの『払暁の風』が示す通り、暗い夜が明けようとする瞬間の冷徹さと、わずかな希望の光を感じさせる結末は、歴史小説としての風格に満ちています。室町という、一見捉えどころのない時代に鮮やかな命を吹き込み、現代を生きる私たちの心にも通じる「誠実に生きることの難しさと尊さ」を問いかける傑作です。歴史ファンはもちろん、一人の青年の魂の遍歴を追いたいすべての読者に贈る、珠玉の文芸作品といえるでしょう。
登録日 2026.04.28