熾星

熾星

中国で創作活動をしている作者です。 主に、短く読めてスカッとできる「ざまぁ系」の短編小説を書いています。 時々、少し不穏なミステリーや、甘い恋愛ものを書くこともあります。
40 件 12
キャラ文芸 完結 短編
 宗一郎がシャツの三つ目のボタンを留めたときには、私はもうスマートフォンで銀行アプリを開いていた。  ベッドの脇には女物のワンピースと彼のベルトが散らばっている。神崎美月はホテルのバスローブをまとい、浴室の入り口に立っていた。鎖骨には意味ありげな赤い痕。まるで私に見せつけるために、そこに立っているようだった。  カーテンは完全には閉じられていない。朝の光が絨毯に差し込み、部屋の惨状を残酷なほど鮮明に照らしていた。  初めてこんな場面に出くわしたとき、私は部屋のグラスを叩き割り、宗一郎の胸ぐらをつかんで理由を問い詰めた。  あのときの彼はベッドヘッドにもたれて煙草を吸い、ズボンすらまともに穿かないまま、淡々と言った。 「部屋が暗くて、お前と間違えた」  その後、同じような「人違い」は二度起きた。  それをきっかけに、私たちは書面で取り決めを交わした。不貞行為が一度発覚するたび、離婚成立前の解決金として、彼は私に五百万円を支払う。 「振り込んで」
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小説 754 位 / 232,965件 キャラ文芸 5 位 / 5,652件
文字数 15,654 最終更新日 2026.07.16 登録日 2026.07.16
大衆娯楽 完結 短編 R15
結婚してまだ一か月も経たないうちに、俊介は引っ越し業者に頼んで、奇妙な形をした「ジェミニ」というマッサージチェアを運び込んだ。銀灰色の金属製ボディは六畳の仕事部屋をほとんど埋め尽くし、隙間なく閉じる曲面カバーは、温度のない口のように見えた。それ以来、毎晩八時から九時まで、あの部屋は私が近づくことを許されない場所になった。俊介は水を一杯持って仕事部屋に入り、内側から鍵をかけ、丸一時間マッサージチェアの中にこもる。壁越しでも、機械の低い駆動音と、彼が抑えきれずに漏らす息遣いや呻き声が聞こえてきた。 一度だけ、俊介が眠っている隙に中へ入ったことがある。背もたれのローラーは背骨に沿って筋肉をほぐすどころか、私の腰回りの柔らかな肉を正確につかみ、異物を追い出すように締めつけた。全身に冷や汗が浮くほど痛かった。それなのに、扉のそばにもたれていた俊介の顔には、吐き気がするほど満ち足りた余韻が残っていた。 「おまえの身体データが合わないだけだ。この椅子は、登録された人間しか受けつけない」 そして、俊介が取引先との会食に出た夜。私は午後七時五十九分、彼に隠れてマッサージチェアに横たわり、接続ボタンを押した。八時ちょうど。暗闇の中で紫色のランプがゆっくりと灯った。人肌のぬくもりを持つ「手」が背中に触れ、背骨をなぞりながら腰へ滑り、そのまま貪るように脚のあいだへ伸びてくる。 けれど、システムが記憶しているのは俊介の身体だった。見えない手はいつもの場所を見つけられず、私の太腿の付け根を何度も空振りした。椅子の内側にある柔らかなパッドが締まり、ずれた感触は次第に苛立ちを帯びていく。画面の向こうにいる誰かが、焦れながら何かを探しているようだった。 次の瞬間、ヘッドレストの上で微かなノイズが走った。紫色の光の中から、甘えるような喘ぎを含んだ女の声が響く。 「俊介、今日……なんだか小さくない?」
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小説 24,554 位 / 232,965件 大衆娯楽 551 位 / 6,140件
文字数 18,640 最終更新日 2026.07.15 登録日 2026.07.15
大衆娯楽 完結 短編 R18
深夜二時、尿意で目が覚めた俺は、廊下の奥にある浴室へ向かった。  ところが浴室の前まで来た瞬間、足が止まった。湯気のこもった浴室の中、浴槽に身を沈めている美羽の姿が、浴室カーテン越しにぼんやり浮かんでいた。  すぐに引き返すべきだった。  なのに、足が床に張りついたように動かなかった。ようやく我に返り、自分の部屋へ逃げ戻ろうとしたとき、スマホが震えた。  画面には、美羽からのメッセージが表示されていた。 「お義父さん、入ってきてください。もう我慢できないんでしょう?」  スマホを握る手のひらに、汗がにじんだ。  五十年以上生きてきて、俺はずっと自分をまともな人間だと思っていた。妻を亡くしてからは、女遊びひとつせず、息子だけを育ててきた。だが俺を深いところへ引きずり込んだのは、見知らぬ女ではなかった。  息子の嫁だった。
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小説 21,310 位 / 232,965件 大衆娯楽 410 位 / 6,140件
文字数 16,763 最終更新日 2026.07.15 登録日 2026.07.15
現代文学 完結 短編
 大晦日の夜、家族がそろうはずの日。  母から罵倒の電話がかかってきた。  外で凍えながらカップ麺を食べてでも、家に帰って年を越したくないのか、と。  理由は、母が私に買ってきたブレスレットを、私がつけたくなかったからなのか。  私は淡々と答えた。 「そう。そのブレスレットのせいだよ」  そのあと、電話ごと母をブロックした。  母が私に買ってきたのは、子ども用のGPSブレスレットだった。  女の子が外で大学に通うのは危ないから、という理由で、母はそれを私につけさせた。  十分ごとに位置情報を送ること。  毎晩十時にはビデオ通話で寝室確認をすること。  一度でも返信が遅れれば、母は輔導員に電話し、私が外で体を売っていると言った。  私がシャワーを浴びるためにブレスレットを外すと、母は学校まで押しかけ、寮の部屋で全員の前で私を恥知らずだと罵った。  本来なら、私は泣きながら説明して、信じてほしいと頼むべきだったのかもしれない。  けれどあの日、母が私をトイレに閉じ込め、男とホテルに行ったと認めろと迫った瞬間、私はもう説明したくなくなった。  電話をブロックしたあと、これで終わりではないと分かっていた。  私は母が三年間録音してきた監視、脅し、罵倒を、すべてファイルにまとめた。  案の定、その後、母は私の会社のビルの下に来て、跪いて泣いた。  私が親不孝だと。  私は全員の前で、再生ボタンを押した。  最初に流れたのは、母自身の声だった。 「言うことを聞かないなら、あんたを潰してやる」
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小説 24,554 位 / 232,965件 現代文学 113 位 / 9,781件
文字数 18,170 最終更新日 2026.07.14 登録日 2026.07.14
現代文学 完結 短編
 午前一時、大学近くの女性専用シェアハウスは、エアコンの低い音だけが響いていた。森下莉香から一枚の写真が送られてきた。ホテルのスイートルームらしいベッドの上で、彼女は片方の肩を露わにし、鎖骨のあたりには生々しい赤い痕が残っていた。  背後の男の顔は写っていなかった。けれど、画面の端に映った手首だけで、私は十分だった。そこに巻かれていた白檀の腕輪念珠を、私は知っていた。  あれは、私が神宮寺怜央に贈ったものだった。  東京・港区の旧財閥系一族、神宮寺家の後継者。神宮寺家は老舗の不動産開発会社を中核に、近年は医療・介護施設への投資も広げていた。怜央はその跡取りとして、著名な卒業生であり、大学の有力なスポンサーでもある人物として、たびたび私たちの大学に顔を出していた。
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小説 5,031 位 / 232,965件 現代文学 19 位 / 9,781件
文字数 14,062 最終更新日 2026.07.13 登録日 2026.07.13
ホラー 完結 短編
 夫の若い秘書が、社内チャットに一枚の自撮り写真を誤って投稿した。本当は若手社員だけで作った私的なLINEグループに送るつもりだったのだろう。けれど彼女は、うっかり会社のLINE WORKSの雑談チャンネルに投稿してしまった。写真の背景は、私と怜司の寝室だった。彼女は私のシルクのナイトウェアを着て、私が使っていたドレッサーの前に立っている。胸元は大きく開いていた。  添えられていた言葉は、たった二行だった。 【怜司さんが、奥さんは今いないって】 【今夜、この寝室は私のもの】  チャンネルは数秒だけ静まり返り、それから既読の数が一気に増えていった。誰かが意味ありげなスタンプを送り、別の誰かが冗談めかして、とうとう奥さんの座に収まったのかと聞いた。彼女が着ているナイトウェアが高価なものだと気づき、もう高梨家の主寝室に入り込んだのかと茶化す者もいた。  桐谷莉奈は、すぐにもう一言付け加えた。 【怜司さん、今夜はずいぶん元気。でもずっと寒いって言ってて、私を抱いて離してくれない】  私は黙って、そのメッセージが一つずつ浮かび上がるのを見ていた。怜司が寒がるのは当然だった。だって、私はずっと彼の背中に張りついているのだから。私の遺体は、彼によって主寝室のウォークインクローゼットの奥に作られた壁の中へ封じ込められて、もう三ヶ月になる。  そこは、世田谷区にあるリフォーム済みの一戸建てだった。結婚後、怜司が購入した家だ。ここなら静かで、人目も少なく、私たちはやり直せる。そう言っていた。隣家とは塀と庭を挟んでいて、主寝室は二階にある。深夜の作業音も、水漏れの修繕だと言えば、誰も深くは聞かなかった。だから彼は私を殺したあと、ウォークインクローゼットの奥を石膏ボードで塞ぎ、継ぎ目をパテで埋め、その上から新しい壁紙を貼った。  壁紙の糊とパテの匂いは、まだ完全には抜けていない。壁の内側は冷たく、息苦しい。私は毎晩、彼の首筋にぴたりと貼りついて息を吹きかけていた。寒くないはずがなかった。
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小説 11,162 位 / 232,965件 ホラー 101 位 / 8,584件
文字数 14,928 最終更新日 2026.07.13 登録日 2026.07.13
恋愛 連載中 短編
憧れていた男子に自分から近づいてみて、藤崎恵はようやく気づいた。  本当に不安にさせられるのは、拒まれることそのものとは限らないのだと。  同じクラスの犬塚亮太を好きになってから、女子学生会館で同じフロアに住む白石琴音は、いつも隣でやわらかく忠告してきた。 「男の人って、あんまり信用しすぎないほうがいいよ」  亮太がLINEで「キャンパスを少し歩かないか」と誘ってくれば、琴音は「そういう誘い方って、ちょっと曖昧で怖いよね」と言った。  亮太が腕時計を贈ってくれたときも、琴音は「まだ始まったばかりなのに、そういうものを渡すなんて、少し気持ちが急ぎすぎてる気がする」と眉を下げた。  何度も聞かされるうちに、恵も少しずつ自分の気持ちを疑うようになっていた。  けれどある日、彼女は見てしまった。  亮太と琴音が図書館裏の小道を回り込み、監視カメラの死角へ入っていくところを。  ふたりは陰に隠れた途端、待ちきれないように互いの服の裾へ手を差し入れていた。
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小説 21,310 位 / 232,965件 恋愛 9,311 位 / 67,221件
文字数 31,844 最終更新日 2026.07.10 登録日 2026.07.10
ミステリー 完結 ショートショート
 今日は大晦日だった。  東京では珍しく雪が降っていた。細かな白い粒が、港区の高層マンションの外に並ぶ街灯の下で、夜の底に薄い灰をかぶせたように舞っている。  遠くの寺から除夜の鐘が聞こえ始めたころ、陽翔はまだ窓辺に張りついていた。神社の参道の先に見える灯りを指さし、初詣の屋台を見に行きたいと何度もせがんでいた。  部屋の中は暖房がよく効いていて、年越しそばのつゆの匂いがまだ残っている。テレビでは年越し番組が流れ、芸人たちの笑い声が明るすぎるほど響いていた。  私は陽翔に赤いダウンジャケットを着せ、手編みの赤いニット帽をかぶせた。特撮ヒーロー柄のその帽子は、縁が少しだけ歪んでいる。それでも陽翔は、世界でいちばんかっこいい帽子だと言ってくれていた。 「ママ、甘酒飲みたい」 「子どもでも飲めるやつだけね。勝手に走っちゃだめ。パパの手、ちゃんとつないで」  蓮司は玄関で黒いダウンを羽織り、陽翔のマフラーを整えていた。顔を上げて私を見ると、目尻に少しだけ笑みを残した。 「大丈夫。温かいのを一杯買って、すぐ戻る」 「ママも待っててね!」  陽翔は小さな手を伸ばして、私とハイタッチをした。  私は笑って、父子がエレベーターへ向かうのを見送った。扉が閉まる直前、陽翔は隙間から手を振っていた。  鐘の音が、ひとつ、またひとつと夜に沈んでいく。  私は窓辺に寄り、下を見下ろした。神社へ向かう人の流れはそれほど多くない。雪のせいで、街全体が奇妙なほど静まり返っていた。  十分ほど経ったころだった。  コンビニ脇の路地から蓮司が出てくるのが見えた。  ひとりだった。  陽翔の手を引いていない。  蓮司は雪の中に立ち、うつむいて煙草に火をつけた。  心臓が、凍ったように縮んだ。  私はスリッパも履き替えず、コートだけつかんで部屋を飛び出した。エレベーターは氷づけにされたみたいに遅い。階数表示がひとつ下がるたび、手のひらから熱が抜けていった。
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小説 16,717 位 / 232,965件 ミステリー 140 位 / 5,457件
文字数 14,122 最終更新日 2026.07.10 登録日 2026.07.10
ミステリー 完結 短編
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小説 11,162 位 / 232,965件 ミステリー 99 位 / 5,457件
文字数 19,118 最終更新日 2026.07.10 登録日 2026.07.10
ホラー 完結 短編
私は、夫の不倫現場を押さえようとしていた妻だった。  その夜、池袋北口にある古びたビジネスホテルの一室で、私は夫の久我涼介と、大学時代からの友人だった白石莉奈がベッドの上で毛布にくるまっているのを見た。莉奈がルームサービスと勘違いしてドアを開けた瞬間、私はその隙間から部屋へ踏み込んだ。室内には香水と酒の匂いが混ざって残り、テレビは消えているのに、ベッドサイドの照明だけが妙に眩しかった。  用意していた言葉は、喉の奥で全部つかえた。  私が口を開くより先に、浴室の鏡から白い手が伸びてきた。赤いワンピースを着た女が、鏡の中から這い出してくる。長い髪は床まで垂れ、顔の半分以上を覆い隠し、伸びた爪がタイルを引っかいて耳障りな音を立てていた。  その冷たい手が私の肩に触れた瞬間、目の前に歪んだ文字が浮かび上がった。 【不憫すぎる妻、終了のお知らせ! このあと女幽霊に憑依されて飛び降り、死後はクズ夫が五千万円の保険金を受け取り、不倫相手と結婚式!】 【涼介が契約したのは高額の傷害保険。受取人は最初が母親、そのあとこっそり莉奈も追加済み!】 【泣いてる場合じゃない、逃げて!】  ベッドの上で顔を歪め、今にも私を殴ろうとしている男を見た瞬間、なぜか悲鳴は出なかった。怖くないわけではない。けれど恐怖より先に、身体の芯が冷えるような怒りがこみ上げてきた。  私は女幽霊の冷たい手首をつかみ、誰もいない空間へ向かって笑った。 「ねえ、赤いお姉さん。取引しない?」 「先に私へ憑いて、あの最低な二人を片づけさせて。終わったら、私の命であなたのノルマを達成していいから」
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小説 16,717 位 / 232,965件 ホラー 153 位 / 8,584件
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恋愛 完結 短編
 神代家は不動産管理会社、商業ビル、高級マンション、いくつかの別邸を所有している。私は普段、メディアに顔を出すことがほとんどない。多くの人が知っているのは、私が神代不動産管理株式会社の代表取締役社長だということくらいで、神代家の本当の資産規模までは知られていなかった。  海外投資ファンドの代表を迎えるため、私は神奈川県葉山町にある海辺の別邸を一棟、非公開のまま残していた。そこは賃貸にも売却にも出していない、特別な客人を迎えるためだけの家だった。内装工事が終わったあと、私は管理用の鍵を夫の蓮司に預け、定期的な換気と設備点検を頼んでいた。  その日、私は急きょ、その別邸で大切な客を迎えることになった。玄関の扉を開けた瞬間、出迎えたのは管理担当者でも、家政婦でもなかった。シルクのガウンを羽織り、巻き髪の女が、コンビニで買った菓子を手にしたまま、まるで女主人のように玄関口にもたれていた。  女は私を上から下まで眺めた。 「ねえ、そこの人。コンビニで生理用品を二つ買ってきて」 「あと、キッチンにある薬膳スープも持ってきて。こぼしたら、ただじゃおかないから」  私は彼女の足元にある来客用スリッパを見て、それから背後のリビングへ視線を向けた。ソファには女物のショールがかけられ、ローテーブルには飲みかけのワイングラスが置かれている。玄関の棚には、蓮司がよく使っていたライターまで置かれていた。  胸の奥に浮かんだ冷たさを、私は無理やり押し込めた。 「ここは私の家です」 「今日は大切なお客様をお迎えする予定があります。別邸の管理担当者を呼んでください」  女の顔色が変わった。彼女は一歩前に出て、まるで私こそが勝手に入り込んだ部外者であるかのように、鋭い声を出した。 「あんたの家? 鏡を見てから言ったら?」 「こんなところに貧乏くさい女が来て、オーナーのふり?」 「よく見なさいよ。この家の女主人は私なの」  庭で松の手入れをしていた庭師が、騒ぎを聞きつけて剪定ばさみを手に近づいてきた。彼は私を一瞥し、うんざりしたような目を向けた。どうやら、この女が別邸で人に命令する光景に、すっかり慣れているらしい。 「今回ばかりは、あなたのほうが悪いですよ」 「こちらの方は、黒瀬さんが一番大切にしている方です。管理会社の人間もみんな知っています。誰も失礼なことはしません」  私は玄関に立ったまま、指先をゆっくり握りしめた。  蓮司は、住み込みの家政婦を手配するという名目で、私の葉山の別邸に女を住まわせていた。  それだけではない。  彼はその女を、私の家で堂々と女主人の顔ができるほど、甘やかしていた。
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午前三時、篠原蒼真は飲み会の個室で結婚式の招待状を配っていた。  その場にいたのは、蒼真がこの数年で東京のテック業界で知り合った人たちばかりだった。酔いの回った誰かが、彼が私の前に招待状を差し出すのを見て、すぐに笑いながら茶化した。 「え、花嫁本人にも招待状? お前ら、そういう遊び方するんだ」  けれど次の瞬間、皆が招待状を開き、そこに印刷された新郎新婦の写真を見た途端、笑い声はぴたりと止まった。  写真の中の花嫁は、私ではなかった。  蒼真が昔から「妹のような存在」と呼んでいた女、佐伯莉央だった。  私は少しも驚かなかった。ただバッグから祝儀袋を取り出し、彼の前にそっと置いた。 「式には出ないわ。二百五十円だけど、私からの祝福だと思って」  祝福、という言葉だけを、私はわざとゆっくり口にした。周囲の人たちは顔を見合わせ、個室には店のBGMだけが残った。私は蒼真を一瞥することもなく、扉を押して外へ出た。  すぐに彼から電話がかかってきた。 「美月、変な誤解をするなよ。俺が莉央と婚姻届を出したのは、芽衣を港区の名門小学校に入れるためなんだ」 「芽衣の入学資格が落ち着いたら、すぐ莉央とは離婚する。そのあと、ちゃんとお前と籍を入れるから」  あまりにも軽い声だった。まるで、どうでもいい世間話でもしているようだった。  私は深夜の銀座の通りに立ち、電話の向こうから聞こえるその声を聞いていた。胸の中は、驚くほど静かだった。  三時間前、私は港区役所を出たばかりだった。  蒼真と正式に婚姻届を出すために、半年かけて書類を準備していた。けれど窓口の職員が記録を確認したあと、彼は三年前にすでに別の女性と婚姻届を提出していると教えてくれた。戸籍上の配偶者として記載されていた名前は、佐伯莉央。  私が持っていた、いわゆる「婚姻届受理証明書」は偽物だった。  私は電話口で問い詰めることも、泣き叫ぶこともしなかった。ただ静かに言った。 「もういい。他人のお下がりなんて、気持ち悪くて無理」  電話を切ったあと、私はすぐに顧問弁護士へ連絡した。 「神宮寺ホールディングスに伝えて。篠原蒼真の全プロジェクトから、出資を引き上げて」 「それから、私名義の港区白金台のマンション。すぐに回収するわ」
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 七月の東京は、息をするだけで肺が焼けそうなほど暑かった。  けれど佐倉美緒は、婚約者の桐谷悠真に「世界は氷河期に入った」と信じ込まされ、偽りの終末の中へ閉じ込められた。  悠真は寝室を密閉し、偽の災害情報を作り、業務用エアコンとドライアイスで極寒の部屋を作り上げた。美緒は恐怖と信頼の中で、少しずつ凍えていく。死の直前、彼女はたった一着のダウンコートまで悠真に渡し、「私の代わりに生きて」と願った。  だが魂が身体を離れた瞬間、美緒が見たのは、扉の外に広がる真夏の陽射しだった。  終末など、どこにもなかった。悠真と親友の白石雪乃は隣の部屋で食べ、飲み、笑いながら、美緒の死を待っていた。彼女の預金と、文京区の分譲マンションを奪うために。  ゴミ箱に捨てられた美緒は、やがて怨霊となる。  彼らが氷河期を作ったというのなら、今度は美緒が、この真夏の部屋を本物の氷の牢獄に変える。  開かない玄関。暴走するエアコン。途切れた電波。目の前にあるのに越えられない生への出口。  裏切り者の二人は、少しずつ絶望の底へ引きずり込まれていく。  翌日、警察が扉を開けたとき、そこには東京で最も奇妙な密室冷凍事件の現場が広がっていた。
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文字数 13,490 最終更新日 2026.07.07 登録日 2026.07.07
ファンタジー 完結 短編
皇帝は私の容姿を気に入り、私を後宮に入れようとした。  やんわり断ると、彼は私の家族を皆殺しにしたうえで、改めて私に尋ねた。  それでも後宮入りを拒むのか、と。  私はその場で笑いながら、彼の腕の中へ身を預けた。  誰も知らない。  私は千年を生きる石の妖で、生まれつき、どんな生き物にも子を宿らせる異能を持っている。  入宮してから、私は毎日、彼に「滋養の薬湯」を飲ませた。  彼は吐き気に苦しみ、魚や肉の匂いを嗅いだだけで顔色を変えるようになった。  かつて人を殺すことに眉ひとつ動かさなかった暴君の腹は、日に日に丸みを帯びていく。  やがて彼は、私が選んだ薄桃色の衣をまとい、床に膝をついて崩れ落ちた。 「月、頼む……私は産みたくない……」  私は彼の耳元で、そっと笑った。 「陛下。もう胎の音は、ずっと私の耳に響いておりますよ」  皇帝は私が怯えると思っていたのだろう。  けれど私は、満面の笑みで彼の懐へ入った。  彼は知らない。  私は断崖の下で天地に育まれた石の妖で、生まれつき気まぐれな性分だ。  子を宿させ、産ませる力を持っている。  残虐で人殺しを好む皇帝に、私の子を産ませる。  それほどふさわしい罰は、ほかにない。
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文字数 15,475 最終更新日 2026.07.07 登録日 2026.07.07
恋愛 完結 短編
 私が何気なく「そろそろ結婚したいな」と口にしただけで、翌日、桐谷悠真は事業計画書のように分厚い結婚式のプランを私の前に置いた。  東京・丸の内の高級ホテルから、披露宴の進行、招待客の席次、ドレスの順番まで、彼はすべてを細かく整えてくれていた。誰もが、私は優しくて、気が利いて、責任感のある男性を見つけたのだと言った。私自身も、そう信じていた。  私と悠真は三年付き合っていた。式場も、招待客リストも、招待状のデザインも、両家の親族席の配置まで、彼はほとんど私の希望に合わせてくれた。私が喜ぶなら、それでいい、と。  披露宴当日、ホテルの宴会場はきらびやかな照明に包まれ、二百人近い招待客で埋まっていた。途中で、私はお色直しのために控室へ向かった。  舞台裏の通路を通りかかったとき、子どもの声が聞こえた。その声は、化粧台に置かれたスマホから流れていた。 「パパ、いつ帰ってくるの? 今日はママと遊園地に行くって約束したでしょ?」  次の瞬間、悠真が声を潜めてその子をなだめた。 「いい子にして、おじいちゃんとおばあちゃんの言うことを聞いていて。パパはこっちが終わったら、ママのところへ行くから」  私は入口に立ったまま、指先が少しずつ冷えていくのを感じていた。では、いま親族席に座り、私に穏やかに微笑みかけ、このあと新郎側の両親として挨拶するはずの、あの二人はいったい誰なのだろう。
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文字数 12,059 最終更新日 2026.07.06 登録日 2026.07.06
ミステリー 完結 短編
森川先生の死後、二通のLINEメッセージが残された。一通は人を死に追いやり、もう一通は僕を救った。  あの旧貯水池事故の生存者として、僕は霧見警察署刑事課に夜通し事情聴取を受けた。けれど、自分がいったい何を覚えているのか、最後までうまく説明できなかった。  先生の十回忌の日、墓前で二つの影を見た。あの瞬間、僕はようやく理解した。水に呑まれたのは、二つの命だけではなかった。十年分の嘘も、そこに沈んでいたのだ。
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文字数 16,913 最終更新日 2026.07.06 登録日 2026.07.06
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