「昭和50年」の検索結果
全体で9件見つかりました。
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件
私、梅と申します。
これからお話する事は他人様からは信じはくれない話でございます。
時は昭和50年、高度経済成長のまっさかりでございます。
5年前の事でございました。
家政婦の御奉仕で旦那様の元へ参った時、
即決でお屋敷の住み込みに承諾をして頂けた時の話でございます。
その初夜の事でございます。
※18禁小説のため、18歳以下の方の閲覧はおやめください。
一部、過激な描写が含まれています。
文字数 9,955
最終更新日 2020.03.11
登録日 2020.03.11
俺もちと幼馴染檸檬は高校3年の夏休み中に念願だった車の免許を取得。
俺は大手自動車メーカーに勤めるオヤジに冗談で昭和50年代の今でもレースで現役の
クーペタイプの車と檸檬の希望のバブル時代のVIPカーをオヤジになんとかタダで手に入れて来てくれと言うとオヤジがホントに希望通りの車を2台知り合いの街の車屋から
貰って来やがった!
文字数 854
最終更新日 2021.07.16
登録日 2021.07.16
昭和な時代、技術系少年のあこがれがアマチュア無線からマイコンに移り変わるころ、無線が好きな少年が出会ったのは無線が好きな少女。
彼女が気になる少年だがなかなかその心を伝えられない。
そんな二人の距離が一気に縮まる事件があり、そして離れてしまう。
昭和50年代のクラブ活動やローカルなアマチュア無線仲間の話を元にしていますので、一般的ではない用語が出てきます。すでに死語になっている言葉も多いですがご承知おきください。
また、当時や今の法令に照らし合わせると違反と言えるような行為をする登場人物もいますが、法令違反を奨励するものではありません。
ノクターンノベルズでも掲載しています
文字数 14,923
最終更新日 2021.09.20
登録日 2021.09.16
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2
昭和50年代のある時期を子供として過ごした私の「こんなかんじだったなあ」
という、忘れていきそうな思い出を忘れないように書き留める備忘録です。
文字数 45,062
最終更新日 2018.11.15
登録日 2018.09.20
「セブンティーン」として投稿したお話の続編ですが、本編だけでも独立したお話になります。
舞台は昭和50年代。
1981年1月 俳優の塚本澄生が猟銃自殺を遂げた。36才の美形のトップスターの突然の死だった。塚本の友人でジャーナリストの田代浩輔は、訃報を聞いて塚本のマンションに駆けつけた。そこで元アイドルのエディ萩原と偶然再会し驚く。エディは1968年デビュー当時は17才。ロックバンド、ペガサスのメンバーで、超人気アイドルの美少年だった。
そして死んだ塚本とエディが秘められた恋人同士だったことを田代は知っていた。
エディは1969年5月に突如失踪し、グループから脱退していた。エディは失踪の日の秘密を、驚愕の事実を田代に語る…… エディの告白、二人のピュアな愛の結末。
※エディと作曲家・水島滋之との甘美な時間「特別なレッスン」、エディ14才、男同士の初恋を描いた「はじめてのライブ」もお楽しみ下さい。
※具体的な性描写はほぼありませんが、R18の「セブンティーン」の続きで、それを匂わせる内容のため、R18を付けています。
※ムーンライトノベルズ様エブリスタ様にも投稿しています。
文字数 16,121
最終更新日 2022.10.14
登録日 2022.09.29
最後の時代劇スター尾張千太郎と、その付人の辰三。二人は主従関係にあると同時に、苦楽を分かち合った仲間であったのだが…
日本映画の斜陽化する昭和50年代を舞台に、銀幕の陰で二人の時代劇俳優が織りなす哀しきゲイロマンス
※note、pixiv、fujossy、ノクターンノベルズにて重複投稿を行っております。noteよりリンクは辿れます
※後書きに用語等の注釈集を用意しております
※直接のサポートはnoteまたはBOOTHにてお願いいたします
【note】https://note.com/ahai_rainbow/n/na0ed227a3f63?magazine_key=mf4183aa0f8fb
文字数 18,658
最終更新日 2020.05.15
登録日 2020.05.15
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23
文字数 1,375
最終更新日 2022.08.16
登録日 2022.08.16
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1
長崎県の海辺の村に昭和50年代に生まれ、物心ついた時には周りと違うと感じていた。
とにかく、貧しくまともな食事は学校で食べる給食のみ、だけど給食費を払ってないから、当時の学校の教師はプライバシーなどなくみんなの前で「忘れたの」など平気で言ってきた。
子供ながらに恥ずかしく学校も休むことがたびたびあり、クラスメイトにはあまり馴染んでなかったと思う。
父は炭鉱で従事していたから、そこそこの稼ぎはあったはずだが、アルコールの問題とギャンブルで使い果たしてしまい、給料直後でもおかずがなく米に味噌を塗って食べていたことが、多々あった。
ここまで見てもらってもピンとこない人はいるだろう。
炭鉱は当時、大学の新卒の給料よりも遥かに稼げていたと記憶している。
もちろんベースアップもあった。
これは国策として国がバックアップしていたからだ、しかし、当然何かしらの事情で逃げてくる人も多く治安としてはあまり良くなかったと記憶している
文字数 383
最終更新日 2021.11.06
登録日 2021.11.06
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